ネット復帰

約7年程の潜伏期間を経て、私はネットに復帰を果たす事になった。

家族が自分で勉強をする為に、と、端末を買ってきたのである。

その家族は一日に数分程、使うだけ。

それ以外は私が占有をしてしまっている。

恐らく、家族はこうなる事を予想はしていただろう。

というか、私の為に用意をしてくれたと思っている。

私の方から、それを要求する事は出来ない。

だから、自分の為という建前で買ってきたのだろう。 

そして私は素直に甘える事にした。

本当に、みっともない話だけどね。

いい大人なのに、家族に甘える事しか出来ないなんて。

ただ、それでも、ネットを通じて自立をする可能性があるのなら、それに賭けるしかない。

勿論、私にそんな可能性は無いのかもしれないが、やらずに諦めてしまって、本当にいいのか。

私自身は、それでも構わない。

だって、以前にネットを離脱した時に、もうネットに帰って来る事が出来ない事を覚悟はしていた。

しかし家族の事を考えると、やれるだけ、やってみてもいい様にも思う。

そして、それが私の自立に繋がれば、家族にとっても私にとっても一番、いい事ではあるのだろう。

また、私自身は前回のネット活動で、書く事の楽しさを知ってしまっていた。

だから、みっともなかろうとも、書く事が出来るのなら、書きたい気持ちもあるのが正直なところ。

そして、実際にブログを書いたり、創作をする事で、有り余る時間を楽しむ事も出来るのだ。

それまで、出来るだけの断食をする為に、寝たきり状態で、ただただ、じっとしていた。

そんな中で、色々な事を考えたりもしたんだよね。

その考えた事を文章にして、発信する事も出来る様になった。

ネットに復帰をした事でね。

そして今、私は他の誰でもない自分の声を、様々な文章にして発信をさせて頂いている。

それが本当にありがたいし、とても楽しく感じてもいる。

結果に繋げる事は出来ていないが、少なくとも、頑張る事は出来ているのだ。

ネットに復帰する前は頑張る事すら許されない様な状況だった。

勿論、周囲の迷惑を考えなければ、頑張れる事もあったのかもしれないが、私には、そこまでの事は出来なかったのだ。

言い訳なのかもしれないが、事実でもある。

頑張り続けていたら、それこそ今日に至る前に、一家で心中をしなければならなくなっていたのかもしれない。

これは、決して大袈裟な事ではなく、今、私の置かれている状況は、そうなのである。

そんな中で、ネットだけは出来る様になった。

そしてネットは通信費さえ払えれば、それ以外はお金をかけずに色々と挑戦が出来る。

現状は通信費だけなら、なんとかなるのです。

現実に社会復帰活動をするとなると、その何倍もの費用が必要になってくる。

今はもう、そこまでのゆとりはウチには無いだろう。

勿論、家族に言えば、何とかしようとするのかもしれない。

しかし無理をすれば、本当に心中しなければならなくなるのかもしれないのだ。

例え心中をしなくても、いずれ食事も出来なくなって、家族共々に飢え死にする事になるだろう。

借金をせずに、生きる事が出来るだけ、ありがたい。

借金をせずに、ネットが出来るだけ、ありがたい。

そして、私もそうだけど、家族も借金をしてまで生きようとは思わないだろう。

飢え死にを選択すると思います。

返すあての無い借金なんてしたくないし、出来る訳もない。

ネットだけだったら、現状はそこまでの負担にはならないのです。

ネットが負担になる様になってきたら、ネットも止めなければならなくなるだけ。

今は、そうなるまでの間なのだ。

だから、ネットが出来なくなる前に状況を変えたくて、頑張っている。

そして、今はこうして頑張れるだけでも、本当にありがたいし、楽しい。

また、私は前回のネット活動において、自殺サイトに通ったり、自分で自殺サイトを運営したりもしていた。

そんな中で多くの方の話を聞き、人は皆、それぞれに、それぞれの想いを抱えているという事を、改めて知る事になる。

そして、その想いは、その人だけのものなんだよね。

勿論、時には他人の想いと近しくなる事もある。

でも、全部が全部、一致する事は有り得ないだろう。

だから、他の誰でもない自分の想いを他の誰かに伝える事は大切だと思う。

自分一人で抱えていても、どうしようもない。

他の誰かに知って貰う事で、可能性を作り出す事もある様に思う。

何もしないまま、その可能性を放り投げてしまうのは勿体ないよね。

そしてネットさえ出来れば、自分の想いを発信する事は可能なのだ。

それを自分自身の可能性や周囲の可能性に還元が出来るかは分からないけど、それは自分一人で出来る事とは限らなかったりもするだろう。

だから、先ず、発信だけでもしておく。

発信をしておけば、誰かの目に触れる可能性を作る事は出来る。

発信をしないと、その可能性すら無いままなのだ。

そして誰かの目に触れる事で、次の可能性に繋がるかは、成り行き次第でいいんじゃないかな。

約7年間もの潜伏期間を経て、ネットに復帰するにあたり、私はその様な考え方をする様になっていた。

果たして、私は書く事で自立が出来る様になれるか。

その可能性を作り出す事が出来るのか。

此処までは正直、何の手応えも無い。

でも、元々、駄目元でやっているんだよね。

だから、今はもう、結果は考えない。

結果は考えずに、書ける事を精一杯に書く。

書く事が出来なくなるまで、書き続けるだけ。

その結果が、どの様なものになろうとも、受け止めるしかないのだろう。

そして私は今も、こうして書いているのだ。

更に、こうして書く事を頑張る事が出来る。

それが本当に楽しいし、ありがたい。